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正定寺(しょうじょうじ)は、茨城県古河市大手町(東片町)にある浄土宗の寺院。正式には、山号を証誠山、院号を宝地院、寺号を正定寺という〔『古河市史 民俗編』 古河市、1983年、822頁(正定寺)〕。山号は別名「利勝山」とも呼ばれる。 ==歴史== 江戸時代の寛永10年(1633年)、幕府大老を務めた古河城主・土井利勝が開基、当誉玄哲(とうよ げんてつ)が開山にあたり、土井家歴代の菩提寺となった〔。古河城観音寺曲輪の堀を挟んだ北側に隣接し、追手門に近い武家地に立地していた。 『古河志』に引用されている当寺の略縁起によれば、開山にあたった玄哲は江戸(東京・芝)の増上寺十三世・廓山上人の弟子で、大和国(奈良県)出身。古河市下大野にある同名の「正定寺」41世だったが、利勝の招きに応じて城下にこの寺を開山。両寺ともに土井家の菩提寺として保護された〔『古河志』・「正定寺」(『古河市史 資料 別巻』267-270頁)〕〔『総和町史 通史編 原始・古代・中世』 525-532頁(大野正定寺・内山俊身 執筆)〕。 土井家墓所は東京・浅草の誓願寺にあったが、関東大震災の復興工事に伴って立ち退きが必要となり、昭和2年(1927年)、正定寺に移転・改葬。平成2年(1990年)には、増上寺内の安蓮社にあった利勝の墓碑も移されている〔古河市公式ホームページ 史跡と寺院 正定寺 〕〔『古河市の文化財』 古河市、72頁、1993年。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「正定寺 (古河市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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